Travel to Arizona 09.

『ゴルフショップオカムラのピンUSA本社取材旅行記 その9』

【フィッティングの概念が登場 −1970年代−】
ヒール・トゥ・バランス理論を形にした『1-A』と、伝説の名器『アンサー』、
世界初のステンレス鋳造キャビティアイアン『カーステン1』の開発と、
ゴルフ界の常識を覆しながら成長を続ける「PING」。

そして1970年代に入るとついに『フィッティング』が登場します。
これは、

人はみな体格やスイングが異なるのだから、
自分に合ったクラブを使うべき


という、当時としては画期的な考えを元に考案されたシステムでした。

1972年、カーステンさんはアイアンの適正ライ角を体格によって10種類に分ける、
「カラーコードシステム」を考案し発表。大きな話題となります。

またこの年にはドルフィン・インダストリー社(後のドルフィン社)を購入し、
精度の高い鋳造アイアンを大量生産できる体制も整えました。

ちなみにこちらが当時のカラーコード表です。
現在は手首のシワから床までの高さを測定の基準としていますが、
この頃は指の先から床までの高さを基準としていたんですね。

時代が少しだけ遡りますが、1970年には初のウッドも生産・販売。
航空力学を駆使した空気抵抗の少ないヘッドデザイン、
パター、アイアンに続いてウッドにもヒール・トゥ・バランスを採用と、
市場に出回る様々なウッドよりも易しさを重視したつくりでした※1

そのほか、この時代には…
ピンオリジナルの測定器具『ロフト&ライゲージ』(1973年特許取得)、

人間のスイングを完璧に再現したテストマシン『PING Man』(1976年)※2

名器『EYE2』へ繋がるブリッジ的なモデル『EYE』を発表(1979年)するなど、
非常に精力的な活動を見せています。

また、欧州市場へ本格進出するためイギリスにカーステンU.K.を創立。
更にアイアンのロフト・ライを柔軟に調整できるようにするため、
熱処理施設を持つ地元の会社「Sonee Heat Treating」を購入しました。

その結果、生産量も増大し大企業への道を歩みだしたピンでしたが、
ちょうどこの頃、自社のパターで優勝したゴルファーにプレゼントしていた
「ゴールドパター」の保管用倉庫も作っています。

もちろん今回の出張ではここも見学させて頂いておりますので、
紹介するのを楽しみにしていてくださいね。


おっと、もう一つ忘れてはいけないエピソードがありました。

1970年、カーステンさんはピンのクラブを広めるため世界各地を回っていました。
この時インドで大きな自動車事故に巻き込まれ、顎を大怪我してしまいます※3

この怪我を隠すためにあごひげを伸ばし始めたのですが、
いつしかこれがカーステンさんのトレードマークになったそうです。
確かに、このひげが無いとカーステンさんという感じがしませんよね。
(↓左:あごひげが無い頃のカーステンさん 右:あごひげのあるカーステンさん)

事故に遭われた時は奥様のルイーズさんもご一緒だったそうで、
後に「あの時は死んでしまうかと思ったわ」と述懐しています。
当時の模様は「Karsten's Way」という書籍に記載されていますので、
ご興味のある方はぜひ探してみてください。




【名器アイ2登場、年間グランドスラム達成へ −1980年代−】
続く1980年代はまさにピンの黄金時代。
まずは1982年、単一モデルとして世界で最も売れたアイアン『EYE2』が登場します。

発売から33年経った今でも復刻版が作られるなど絶大な人気を誇る名器で、
今でも「ピンといえばアイ2」という方は多いのではないでしょうか。

また、あまり知られてはいませんが、
ロブウェッジを初めて販売したパイオニアがピンです。
1984年、EYE2アイアンに61度の単品ウェッジをラインナップし、
「L-Wedge」と名づけて販売したのが始まりと言われています。

同じく1984年には…
今でも中古市場で高い人気を誇る「ベリリウムカッパー」モデルが登場し、

1987年には『アンサー2』が登場し一世を風靡。
後にタイガー・ウッズが全米アマ優勝時に使用していたことでも話題になりました。

ブロンズのアンサーに比べ直線の多いシャープなデザインで、
現在もラインナップに加えられることの多い人気モデルですね。

さて、黄金の80年代、極めつけは1988年。
なんとピンのパターが男子メジャーの年間グランドスラムを達成してしまうのです。

 マスターズ優勝(マンガン・ブロンズ パル:サンディ・ライル)
 全米オープン優勝(ステンレススチール ジング2:カーティス・ストレンジ)
 全英オープン優勝(マンガン・ブロンズ アンサー:セベ・バレステロス)
 全米プロゴルフ選手権優勝(ステンレススチール パル2:ジェフ・スルーマン)

使用プロも当然バラバラ。
当時、ピンパターの使用率がどれほど圧倒的だったかわかりますね。

1989年には現会長のジョン・A・ソルハイム氏が考案した、
脚付きの軽量キャリーバッグが登場。

80年代初頭にピンは軽量キャリーバッグを発表し、
ジュニア&カレッジゴルファーに人気を博していましたが、
脚をつけることで地面に置いた際の安定度が格段にアップ。
以降ピンのキャリーバッグは全てこのタイプで統一されます。

この時代はまさにピンとアイ2アイアンの時代と言っても過言ではないでしょう。
上の写真は1986年の全米プロゴルフ選手権最終日、
トップのグレッグ・ノーマンを劇的なバンカーショットで逆転したボブ・ツエーです。

この時にツエーが使用していたアイ2アイアンのサンドウェッジは、
今でもピンのゴールドパタールームに(ウェッジでありながら特別に)保管されています。

またこちらは1989年の全英オープンでG・ノーマン、W・グレーディとのプレーオフを制し、
自身初のメジャー制覇を成し遂げたマーク・カルカベッキア。

彼がEYE2アイアンのベリリウムカッパーで放った一打は、
その年の「ショット・オブ・ザ・イヤー」に選出される素晴らしいものでした。




【世代交代と安定の時代 −1990年代−】
90年代に入るとピンは単に売上増を目指すのではなく
「ゴルフ業界にどのような貢献ができるか」
といった、大きな視野での取り組みも始めています。

それが現在も2年に1度のペースで行われている「ソルハイムカップ」。

男子プロによるアメリカ対ヨーロッパのチーム対抗戦「ライダーカップ」に対し、
女子プロによるチーム対抗戦として創設されたこの大会のスポンサーがピンでした。
それを記念し、この大会にはカーステンさんのファミリーネームである
「ソルハイム」が名付けられているのです。

また、カーステンさんが自らの三男である
ジョン・A・ソルハイム氏を社長に指名したのもこの頃です。

初めて彼(ジョン)がパター作りを手伝い始めたのは14歳※4
まだカーステンさん一家がカリフォルニアに住んでおり、
休日を利用して自宅ガレージでパターを作っていた頃です。
カーステンさんはこれ以降会長に退くわけですが、
どんな心境で息子に会社を託したのでしょうか。

もちろんこの間もピンクラブの優勝実績はどんどん積み重なってゆき、
1998年にはピンパターの累計勝利数が1,800を突破。
その間には男子メジャー5連勝を成し遂げる※5など、快進撃は止まりません。

また、あまり知られてはいませんが、
長大な飛距離で人気を誇った「ジョン・デーリー」も当時はピンの契約プロでした。

91年の全米プロゴルフ選手権、補欠出場ながら優勝を果たした際に、
彼が使っていたパターはピンの『パル2』だったのです。

もちろん新商品の開発も加速度的に行われました。
アイアンはジングジング2ISI
パターは樹脂をインサートに使用したアイソピュアシリーズを筆頭に、
数限りないほどのシリーズが登場、販売されました。

またこの時代はアイアンやパターの新シリーズだけでなく、
市場を席巻しつつあった金属製のウッド開発も手がけています。
『TiSI』と名付けられたこのウッドは、ライ角を調整できる画期的なものでした。




【創業者の死と次代を引き継ぐ者たち −2000年代〜2010年代−】
そして時は流れ2000年2月16日。
ピン創業者カーステン・ソルハイム氏逝去。パーキンソン病でした。

近代ゴルフを変えたと言っても過言ではない偉人でありながら、
気さくに一般のお客様のクラブを修理したり、フィッティングされていたそうです。
あくまでも現場主義で、かつ好奇心の塊のような方だったのでしょう。

また自らが生み出した『アンサー』に関しても、
小さな改良を毎年のように重ねつつ、それを公言することはありませんでした。
周りが以前のモデルとの違いをいくら指摘しても、

「自分で打ってみればわかるよ」

と返していたそうです。
『最新こそ最良』。この思想は今も脈々と受け継がれています。

さて、この時期のピンが誇る代表的なプロダクツと言えば『Gシリーズ』でしょう。
現在の最新モデルは『G30』ですが、このシリーズは2004年カタログで初登場した
G2フェアウェイウッド』と『G2アイアン』が皮切りになっています※6

またGシリーズ登場の数年前には『i3アイアン』も登場、
現在のようにGシリーズとiシリーズが並び立つような形になったのがこの頃です。

2006年、これらのアイテムと並行して『ラプチャー』シリーズを発表。
翌年全米オープン・全米女子オープンを連覇して大ヒットモデルとなりました。

この時期はロレーナ・オチョアやアンヘル・カブレラなど、
ピンの契約プロが立て続けにメジャーで勝利しています。
日本でピンが再度注目を浴び始めた頃でもありますね。

続いて2008年、弾道測定器と組み合わせて
より精密なフィッティングを可能にする『nFlight』が登場。
スピン量と打ち出し角度、初速などから弾道を測定し、
より最適なスペックを選択・推奨できるようになりました。

更に2011年にはパッティングストロークを分析し、結果をもとに最適なパターを
チョイスしてくれるiPhone用アプリ『iPING』をリリース。
フィッティングに関するシステムが次々と充実していきます。

そして2012年、まだ記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。
ピン契約のババ・ワトソンがマスターズで涙の優勝を果たします。

カーステンさんのガレージで『1-A』が誕生してから50年以上。
今もピンのクラブはPGAツアーの第一線で活躍し続けています。
その事実こそがカーステンさんの言う

最新のモデルこそ最良である

を如実に表しているのではないでしょうか。




【そして2015年、現在のアメリカピン本社では…】
…すみません。
ピンの歴史をさらっと紹介するつもりが随分長くなってしまいました。
どうもこういうのを語り始めると止まらなくなってしまっていけないですね。

さて、話をアメリカ旅行記に戻しましょう。
本社到着後最初に案内されたこのミーティングルームには、
今年発表の最新モデルがずらっと展示されていました。

『G30ドライバー LS Tec』
「LS Tec」は「Low Spin Technology」の略とのこと。
弾道は低めでスピン量が少なく、左に行きにくいとのことで、
どちらかというとハードヒッター、現在のiシリーズ使用者向けのモデルです。

『GLIDEウェッジ』
ロフト別に溝の切り方を変えており、フェースを開いて使うことのある
56度〜60度の溝はルールの限界ギリギリまでシャープにしています。
グリップ、シャフトともにウェッジ専用のものを用意するという初の試みも。
『Cadence(ケーデンス) TRパター』
同じ形状のヘッドでインサートを2種類用意し、
ロングパットが苦手な方とショートパットが苦手な方の両方に対応。
日本では限定発売だった『Ketsch』がラインナップに加わっています。

女性用モデル『Rhapsody(ラプソディ)』シリーズ
G30ドライバーと同様に「タービュレーター」を搭載し、
空気抵抗を軽減することでボールの初速をアップ。
ハイブリッドやアイアンも軒並み性能アップしています。


以上の4モデルが2015年発売予定の新作です。
ただ、最新モデルのプレゼンテーションは午後からとのこと。
このミーティングルームでカーステンさんの希少映像を視聴後、
本社工場を見学して昼食、その後プレゼンというスケジュールのようです。

早く新商品の紹介をしたいところですが、
カーステンさんの希少映像を紹介できる機会もなかなか無いと思います。
次のページではこちらをメインで紹介していきましょう。
写真での紹介になりますが、何卒ご了承ください。




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